20代の憂鬱~21歳③~
それからのことはなんだか記憶が曖昧だ。
人間、自分にとってしんどい思い出は自動的に抹消されていくんだろう。
なんとも都合のいいシステムだけど、そうでなければ生きていけない。
死ぬほどツライ記憶も、今ならば多少美化もされているのかもしれない。
だって、思えば元カレは誠心誠意できることをしてくれた。毎回の病院の付き添い、手続き、支払い、手術当日だって一緒に来てくれた。
十分じゃないか。
悪いのはそんな状況を作ってしまった私。
決めたのは、私。
妊娠がわかってから手術まで、私は何も変わらず過ごした。誰にも話さなかった。話せなかった。
いつものように学校へ行き、いつものようにバイトに行った。
唯一、タバコをやめた。
選んだ病院はおばちゃんの女医さんがいるとこだった。おばちゃん先生は優しかった。優しくされる資格なんてない私に優しくしてくれた。初回撮ったエコー写真を
『あなたはこれを持ち帰らない方がいいわ。思い出して反省することは必要だけれど、あなたは必要以上に自分責めてしまうでしょうから。それに、あなたはこれがなくても一生忘れることもないでしょうから。』
私から何を感じたのかそう言って写真をくれなかった。
手術までは約1週間、短い時間をお腹のコと過ごした。とにかく悪阻が酷くて、食べられない、気持ち悪い。なんとか、周りに気付かれないよう必死で誤魔化した。
前日、子宮口を拡げる処置をしに病院に行った時、悪阻止めの注射を進められたが断った。このコの存在を感じていられるのはあと1日なのだ。おばちゃん先生は言った。
『注射で少しでも悪阻が軽くなったら、赤ちゃんのために美味しい物を食べなさい。お母さんの食事だけが赤ちゃんの栄養なのよ。』
腰に打たれた注射はやたら痛かったが、それくらいなんでもなかった。
当日、元カレが迎えに来てくれて病院に向かった。何を話したか全くわからない。何も話さなかったのかもしれない。
手術室台に寝かされ、麻酔をかけられる。
『一緒に10数えましょう。ひとーつ、ふたーつ、みーっつ、よーっつ、いつーっつ…』
次に見たのは枕元で泣いている元カレだった。泣かなくていいよ。大丈夫だよ。そう声をかけたつもりだ。
次に見たのは元カレが私の側を離れようとする瞬間、行かないで、嫌だ、お願い!側にいて。声が届いたのか、どこにも行かないよ。そう言って手を握ってくれた。
あら、甘えんぼさんねー。って看護師さんが言っていた。
ジェットコースターのように上からグルグルと滑り落ち、次に見たのは看護師さんの顔だった。
『気分悪くないですかー??』
少し、悪い。まだ眠いし。声にならない。
とりあえず、首を縦に動かした。
どこまでが、現実なのか曖昧だった。
おばちゃん先生が来た。
『途中で血圧が急に下がっちゃって点滴2本入れたけど、その他は問題なく終わったわ。もう少し休んで動けるようになったら帰ってもいいわよ。彼も、もう心配ないわ。』
『ありがとうございます。』
彼が頭を下げていた。
なんだか不思議な感じだった。
送ってもらい、家に帰った。
ひとり部屋でタバコに火をつけた。約1週間ぶりのタバコ。1口吸い込んで煙を吐き出す。封を開けたままほったらかしたタバコはメンソールが抜けてマズイ。
涙が出た。
煙のせいにして、妊娠がわかってから初めて泣いた。泣く資格などない。わかっているけど、涙が止まらない。
あれから今まで何十回も何百回もシュミレーションした。いつ、どのタイミングで何をどう決断すればあの生命を消さなくて済んだだろう。
答えはいつも同じ。
結局私は母親になることよりも、その時の自分の人生を選ぶのだ。
そう、決めたのは私。